ゲノム編集食品はもう食卓まで来ています(5)ゲノム編集を利用する農業分野の業界構造は?

by 松島三兒

ゲノム編集技術応用食品について4回にわたって書いてきましたが、日本ですでに3つの製品が上市されているのに、なんで海外では一つのみなんだろうと不思議に思われた方も多いと思います。ゲノム編集技術を農業・食品分野で利用しようとしている企業にはどんなところがあり、業界構造はどうなっているかについて見ていきましょう。

1.ゲノム編集技術の特許状況は?

企業の関わり方や企業間の関係を見ていくためには、鍵となる技術の特許の状況がどうなっているかを見ておく必要があります。現在開発に用いられているゲノム編集技術は、TALEN及びCRISPR/Cas9の2つです。

TALEN技術は、ミネソタ大学のダニエル・ヴォイタスとアイオワ州立大学のアダム・ボグダノーヴらが共同で開発しました。本技術の特許については、2011年1月にフランスのセレクティス社(Cellectis)がミネソタ大学から、すべての分野における全世界での独占的使用権を取得しています(注1)。

CRISPR/Cas9の場合は少し複雑です。それは、ノーベル化学賞を受賞したジェニファー・ダウドナとエマニュエル・シャルパンティエらのUCグループ(注2)と、CRISPR研究のもうひとりの先駆者フェン・チャンが主導するブロード研究所が、CRISPRの特許権を巡って争っていたからです。以下は米国での話になります(注3)。

UCグループは、遺伝子編集にCRISPR/Cas9技術を用いるという発明を対象に、2012年6月に特許出願しました。原核生物及びイン・ビトロ(in vitro, 試験管内)での技術の適用に焦点が当てられたものでした。一方、ブロード研究所は、特に真核生物での遺伝子編集にCRISPR/Cas9を用いるという発明を対象に、2013年1月に特許出願しました。実施例として、マウス及びヒト細胞内でのDNA編集の結果が記載されていました。

ブロード研究所は米国特許商標庁(PTO)に対して上記出願に対する優先審査を申請し、2014年4月に米国特許を取得しました。しかし、UCグループは自分たちのほうが先にCRISPR/Cas9技術を発明したと主張し、インターフェアレンス(特許抵触審査)をもとめました。2018年にPTO特許審判委員会は、UCグループの出願は、CRISPR/Cas9技術を原核生物やイン・ビトロ以外の真核生物のような環境でも使えることを示唆しているかもしれないが、明示的に示したものではないとして、ブロード研究所の特許の独立性を認め、UCグループの出願内容に抵触しないとの審決を下しました。

UCグループはこの審決を不服として上訴しましたが、2020年9月、PTO特許審判委員会はブロード研究所の特許権は有効であると言い渡しました。同時に、UCグループには、ブロード研究所より前にCRISPR/Cas9技術が真核細胞で使えることを実証したという追加の証拠を出すよう求めており、まだ最終結論は出ていません。UCグループの出願に対しても2018年6月に特許権が付与されており、現在はそれぞれが独立した特許として存在しています。

このため、CRISPR/Cas9技術を使おうとする企業は、場合によってはUCグループとブロード研究所の両方からライセンスを受ける必要があるかもしれません。ただ、10年間係争が続いたことで、Cas9以外のヌクレアーゼも利用されるようになっており、特許の価値は低下しています。なお、UCの特許は米国のカリブー・バイオサイエンシズ社に、またシャルパンティエの特許の治療分野以外の使用権はアイルランドのERSジェノミクス社に、それぞれ独占的にライセンスされています。

ダウドナとシャルパンティエは、CRISPR/Cas9技術の真核生物への適用の点では、フェン・チャンに先を越されてしまいましたが、ノーベル賞はダウドナとシャルパンティエの二人のみに与えられており、科学の観点からは二人が先駆者であることを認めたものとなりました。

2.農業・食品におけるゲノム編集技術利用分野の業界構造は?

どんなプレーヤーがいるかを主要な提携関係を介して示したのが、下の図です。

農業分野におけるゲノム編集関連業界地図 (出所)各社ウェブサイトから筆者作成

ライセンス契約を含めた契約関係、それも各社のニュースリリースで発表されたものを中心に企業を洗い出していったので、ゲノム編集技術を農業分野で利用しようとしている企業を網羅できているわけではありません。それでも少し面白い関係が見えてきます。

図の左上に2つ、網掛けした部分がありますが、上がCRISPR/Cas9の発明者のひとつであるダウドナとシャルパンティエのUCグループ、下がフェン・チャンのブロード研究所のグループです。右下の網掛けはTALENの開発者ヴォイタス、ボグダノヴと特許の独占的ライセンシーであるセレクティス社、ケイリクスト社のグループです。

図には、上記の特許権者のグループ以外に2つ、ハブのような島ができています。下は、ドイツのバイエル・クロップサイエンス社と買収前のモンサント社及びバイエル社、上がコルテバ・アグリサイエンス社と合併前のデュポン社(注4)、ダウ・アグロサイエンシズ社です。

バイエル・クロップサイエンス社は、ゲノム編集技術やゲノム編集関連の技術のライセンスに加え、トウモロコシ、ダイズ、ワタ、ナタネ、コムギなど主要作物の改善のための共同研究をモンサント社、バイエル社の時代から積極的に展開してきたことがわかります。

一方、コルテバ・アグリサイエンス社については、特に前身のデュポン社がゲノム編集の取引に関わっており、UCグループのCRISPR/Cas9技術について、カリブー・バイオサイエンシズ社から農業分野での非独占的ライセンスを取得したほか、ERSゲノミクス社からは農業分野での独占的ライセンスを取得し、UCグループのゲノム編集技術に対してサブライセンス権付きの包括的なアクセスを可能としました。また、ブロード研究所からは同社のCRISPR/Cas9技術の農業分野での非独占的ライセンスを得るとともに、第3者に対し共同でのライセンスができる形としました。こうしてデュポン社は、ゲノム編集技術を農業分野で利用したい企業に対し、UCグループとブロード研究所の両方のCRISPR/Cas9技術を同時にライセンスするスキームを作り上げており、コルテバ・アグリサイエンス社に引き継いでいます。実際、図右の点線の丸内に例示したように、このスキームを使って複数の企業がCRISPR/Cas9技術の非独占的ライセンスを取得しています。初回に紹介したGABA高蓄積トマトを開発したサナテック・シード社もこのスキームを利用しており、関連会社のパイオニア・エコサイエンス社のウェブサイトにそのことが紹介されています(下図)。

(出所)パイオニア・エコサイエンス社ウェブサイト https://p-e-s.co.jp/tomato/high-gaba-tomatoes-monitor/

こうしたスキームがコルテバ・アグリサイエンス社の事業の成長にどのようにつながっていくのかは、まだよくわからないところですが、バイエル・クロップサイエンス社も含め、遺伝子組換えビジネスで名を馳せた多国籍企業がゲノム編集の分野に乗り出そうとしている企業と積極的な関わりを持っていこうとしている構図は見えてきます。遺伝子組換えビジネスを牽引してきたモンサント社を中心と知る多国籍企業の栄枯盛衰については、機会を改めて特集していきたいと考えています。

3.おわりに

5回にわたり、ゲノム編集技術の農業・水産業・食品分野への利用状況について見てきました。従来型の交雑育種に比べてより効率的な開発が可能となったこと、また遺伝子組換え技術を利用した品種開発に比べてより短期間かつ低コストでの開発が可能となったことから、開発対象となる品目や開発目標も多様化しています。

現在開発中のものは、主要作物の品質や収量性の改善、気候変動に伴う環境ストレス耐性の付与、収穫後の品質保持期間の改善、タンパク質含有量を高めた食用作物の開発などで、従来型の開発目標に加え、気候変動やタンパク質源の多様化、フードロスの削減など今後の環境変化に対応した課題設定が多くなっています。そこにこそ新しい技術を活用する意味があると思います。

日本では3つの製品が上市されましたが、まだ試行の段階で、技術的に可能で、かつ消費者ニーズに対応したものから取り組んでいる印象を受けます。今後はより大きな社会的課題の解決につながっていくような開発が期待されるところです。

(終わり)

(注1)Cellectis社ニュースリリース https://news.cision.com/bmc-press-room/r/cellectis-acquires-exclusive-license-to-tal-effector-patents-from-university-of-minnesota,g537967

(注2)ジェニファー・ダウドナが所属しているカリフォルニア大学の略称をとって「UCグループ」としています。エマニュエル・シャルパンティエは現在、ドイツのマックス・プランク協会所属で、本件研究の元となる研究を立ち上げた当時はオーストリアのウィーン大学に、ダウドナと共同研究を立ち上げた2011年当時はスウェーデンのウメオ大学に所属していました。

(注3)Brittany Howard. “Who owns CRISPR-Cas9? Nobel Prize in Chemistry stokes patent despute”, FB RICE, 2020-12-18.  https://www.fbrice.com.au/ip-news-insights/who-owns-crispr-cas9-nobel-prize-in-chemistry-stokes-patent-dispute/

    Jon Cohen. “The Latest round in the CRISPR patent battle has an apparent victor, but the fight continues”, Science, 2020-9-11.  https://www.science.org/content/article/latest-round-crispr-patent-battle-has-apparent-victor-fight-continues

(注4)化学会社であったデュポン社は、1999年に当時世界最大の種苗会社であったパイオニア・ハイブレッド社を買収して種苗事業に参入しました。デュポン社の種苗事業と言っても、実質的にはパイオニア・ハイブレッド社のビジネスをそのまま引き継いだものであったため、業界紙等ではデュポン・パイオニア(DuPont Pioneer)という表記を採るケースが多く見られました。本稿に掲載した業界地図中でもこの表記を採用しています。

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