地方への移住・地方での起業を成功に導くためのヒント~滋賀県長浜市を例に~(第2回)I.地元で活動を続け起業したケース:オフィス・エポ 江畑政明さん、佐藤酒造株式会社 佐藤硬史さん
by 松島三兒
今回からいよいよ、「地方に移住する」、「地方で起業する」という選択をした滋賀県長浜市在住の方々のインタビューを通して、地方への移住・起業を成功に導くヒントを探っていきましょう。第2回はまず、地元で活動を続けて起業した2名の方のインタビューを見ていきます。
ビジネス拠点としての長浜について考える
滋賀県長浜市は県北部に位置する豊かな自然と歴史に育まれた地域で、年間延べ700万人の観光客が訪れます。東には百名山の伊吹山を擁する伊吹山地、西には国内最大の琵琶湖が控え、市の北部には日本のウユニ塩湖と言われる余呉湖や紅葉で有名な鶏足寺、石道寺などがあります。こうした景観スポットのほか、現在に城跡を残す長浜城や小谷城、姉川や賤ケ岳などの古戦場、昔の宿場町の街並みを残す木之本など歴史上の貴重な場所も多く存在します。また、ユネスコ文化遺産に登録された曳山祭りや新春の風物詩である盆梅展を始め、例年数多くの祭事やイベントが開催されます。
こうしたことから長浜といえば観光のイメージが強いのですが、その立地から産業面でも重要な位置を占めています。まず第一に、近畿、北陸、東海を結ぶ物流の要だということです。次いで、人の移動に関しても長浜は東海道新幹線の米原駅から至近で、京都、大阪、名古屋、東京などの大都市圏へのアクセスが容易だということです。立地上の利点も考慮すると、アフターコロナ時代の居住・ビジネス拠点として長浜が選ばれる可能性は十分にあるでしょう。長浜をその可能性から遠ざけている要因があるとすれば、それはおそらく雪です。しかし、温暖化の影響か近年降雪量はずいぶん少なくなっています。
昨年の夏期集中授業「おうみ学生未来塾」では、ビジネス拠点としての長浜をテーマとしました。長浜で起業した方々へのインタビューを通して、ビジネス拠点としての長浜の可能性と課題について考えました。インタビューさせていただいたのは6名で、その内訳は以下の通りです。学生時代を除き、長浜で活動を続け起業した人2名、長浜からいったん都会に出てUターン後起業した人3名、結婚により県外から長浜に来たのち起業した人1名。
Ⅰ 地元で活動を続け起業した人から見た「地方への移住」「地方での起業」
今回は、社会人となって以降長浜で活動を続け起業した2名の方の話を紹介します。
1.オフィス・エポ代表 江畑政明さん ~地元の人のつながりに支えてもらった20年
一人目は長浜市・米原市で地域密着型のフリー・ペーパー“WATCH”を発行するオフィス・エポ代表の江畑政明さん(50)です。
WATCHの発刊は2000年。その5年ほど前から江畑さんは趣味でミニコミ紙を作っていましたが、父親の死をきっかけにミニコミ紙で起業したいと思い立ちます。ビジネスとして成り立たせるため地域のいろいろなお店の広告を入れて、地域の情報や地域の人に伝えたいことを発信していこうと考え、タブロイド判のフリー・ペーパー“WATCH”をスタートさせました。
これまで20年間このビジネスを続けてこられたのは、「長浜の地の横のつながり、縦のつながり」のおかげだと江畑さんは言います。ビジネスそのものは時流に乗った部分はありますが、それだけに競争は激しく、ビジネスを始めて5年ほどは長浜でも多い時で10社くらいのフリー・ペーパーが競合していました。江畑さんはこの競争に何としても勝ち残らなくてはいけないと方法を模索します。
自分という人間を買ってもらう
「何で勝ち残れるかをすごく考えて、これはじゃあ商品の価格なのか?いや逆やなと。このとき僕はすごく賭けに出たんです。10社くらいあったフリー・ペーパーのなかでも一番高い値段をつけたんです。僕にはこれだけの想いがあるということを広告主さんに一生懸命訴えることによって、僕という人間を買っていただいたんです。やっぱり人を見て商売をしてくれるというのが、その時代だったからというのもあるかもしれないんですが、今でもそれはあると思います」
地元の飲食店や企業の経営者が一生懸命取り組む自分の姿を見てくれていた、そのうえで「江畑」という人間を選んでくれたことは、江畑さんにとって自信となる出来事でした。
「この長浜、湖北の地は、滋賀県の南部や彦根とはまたちょっと違う地域性というか、人間性がものすごく感じられる、また感じなきゃいけない場所ですね。長浜を拠点としてビジネスをしようと思うと、その辺がいい部分でもあるし、難しい点でもあります」
長浜の人はつながりを大事にして応援してくれる反面、つながりに甘えると逆に干されてしまう怖さはあると言います。つながりに甘える中途半端な姿勢では応援するに値しないということなのでしょう。今回のコロナ禍でも、中途半端な考えを持っている経営者はコロナの波に流されていってしまうだろうと江畑さんは警鐘を鳴らします。
友達以外の横のつながりを作る
江畑さんはまた、自ら様々な組織や集まりに参加し、意見交換等を通じてつがなりを作ることの大切さも話してくれました。
「横のつながりって友達だけじゃないんですね。やることによっていろいろな人に出会う。僕ももう10年くらいになりますかね、地域のまちづくりであるとかボランティアであるとかいろいろな組織に入らせていただいて、常に参加させていただいて情報交換する。まったく畑違いの人が集まるんですけど、それがものすごく糧になり、自分の勉強になってくる。そうやって横のつながりができて、いいお付き合いができてくるともしかしたらビジネスにつながるかもしれない。そういったことが長浜では非常に大切になってくると思います。」
今回のコロナ禍のもとで、つながりを強く実感する出来事があったと言います。江畑さんは苦境に陥る飲食店の力になりたいと昨年5月初め、未来の食事券の購入を呼びかけるクラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げました。目標額は300万円でしたが最終的には527万円(地元企業41社からの支援金を含めると715万円)を達成。地域のお店、企業が地域の人によって支えられていることを改めて強く感じたということです。
最後に、フリー・ペーパーのビジネスを通して長浜という地域の商工業を見続けてきた江畑さんから、長浜でのビジネスを考えている人へのアドバイスを伺いました。
「長浜は非常に住みやすい町と言われていますし、人もものすごく温かく見守ってくれる町だと思います。ただ反面、商売するには他府県からいきなり何もなしにポンと入ってくると非常に難しい。都会とは違った長浜の難しさがあります。保守的な町でなかなか外を取り入れてくれない。でも取り入れたらすごく速い。それがビジネスとして面白いし、怖いところです」
「長浜は商売のしやすい土地環境、地域環境で、昔から100年企業であるとか長く続けておられる店がたくさんある。しかし、長浜のビジネスとして新たに生まれているビジネスとういのはあまりないんですね。それを逆手にとって長浜で新しいものを生み出す商売に、まだすごくチャンスが残っているんじゃないかと思います」
2.佐藤酒造株式会社代表取締役 佐藤硬史さん ~地元の人が「わしらの酒」と言ってくれる酒蔵になる
次は、社会人となって以降長浜で活動を続け起業した2名のうちの二人目。今年創業10周年を迎えた佐藤酒造株式会社の代表取締役・佐藤硬史さん(47)です。
佐藤さんの起業までの道のりは平坦ではありませんでした。大学卒業後3年目に、2社目となる滋賀第一酒造協業組合(1973年に長浜市内8酒造会社が協業して創業)に入社しますが、途中で同社は廃業することになります。佐藤さんは悩みますが、すでに地酒の魅力に引き込まれ、酒造りをあきらめることができませんでした。実家は祖父の代まで酒蔵でしたが、すでに酒蔵の建物はありません。そこで自分自身で酒蔵を作ろうと決意します。
酒造りには水質が大きく影響を及ぼします。伊吹山からのミネラルに富んだ伏流水が豊富に湧き出す、現在の榎木町の場所に会社を設立したのが2010年、佐藤さんが36歳のときでした。その後、銀行からの融資により土地を取得。次に井戸を掘り、設備を整え、酒造免許を取得します。酒造免許をゼロから取得することは容易ではありません。膨大な資料を揃え、取得までに2年の歳月を要したということです。
地元に根差したからこそ地元の人が救ってくれた
起業後の歩みも順風満帆とはいきませんでしたが、そこを乗り越えられたのは人のつながりが大きいと言います。
「なかなか最初思うような商品ができなかったときから、『あんまりおいしくないけども買うわ』と言ってくれる地元の人たちが結構たくさんいてくれました。地元のなかにしっかり入ってやってるというのがすごく大きかったですね。地酒なんで地元の人に応援してもらうというのが第一条件ですし、最終的な夢は地元の人たちが『これがわしらの酒や』と言ってくれる酒蔵になることです」
実は佐藤さんには、お酒の販売を始めて2年目の2014年に大学のキャリア科目のなかで講演をお願いしたことがありました。そのときはにこやかにお話しされていたので気づきませんでしたが、後日お会いした際「実はあの当時は経営が思うようにいかず最悪の状況だったんですよ」と言われて驚いた記憶があります。その状況を地元の人の支えで乗り越えたことが、地元の人に『わしらの酒』と言ってもらえる酒蔵をつくるという想いにつながっているのでしょう。市外や県外に出ている友達の中には勝手に売り歩いてくれた人までいたそうです。
その後、酒造りへの真摯な想いが実を結び、2015年には酒ソムリエ協会主催の「ロンドン酒チャレンジ」で出品酒“大湖 特別純米酒”(“湖濱 特別純米酒”の海外向けブランド)が金賞を受賞します。
海外展開のきっかけとなったのも人のつながりでした。香港に長浜出身でファッション関係の仕事をしている人がいて、香港で日本酒を売ってみようかと一緒に始めたのが最初でした。現地に信頼できるパートナーがいることは大きいと言います。
地域に根差したつながりづくりを
佐藤さんによると、長浜を含む滋賀県湖北は地酒メーカーにとっては理想的な地域ということ。その理由は4点。①地域自体に歴史、伝統文化、自然などの魅力があり、地酒ブランドにつながる、②自然に恵まれた場所でありながら交通アクセスが良いため配送上の利点がある、③地元の人たちの郷土愛が強いので、自分がしっかり地元密着できていれば応援してもらえる土壌を作っていきやすい、④地元以外の人たちの出入りがたくさんあるので、そうした人との出会いからおおきいチャンスが生まれることがある。
地域性というのは非常に大きな意味を持つので、もし地方で起業しようとする人がいたら、自分のやりたいことを考えてそれに合った場所、条件をよく検討することも大切だとアドバイスします。
最後に、長浜でのビジネスを考えている人へのアドバイスを伺いました。
「他の場所から長浜に来られた人にとってはかなり厚い壁があるというのはよく聞きますね。ちょっと人の輪にはいりにくいのかなと思います。多分どこの地域でもそうですけどね、そこに1回入ればすごい強みになる。たとえば直接商売の売り込みとかではなくて、どこかの山組(曳山を所有するエリア)に入るとか、何かの団体に入って一緒にまちづくりをするとか、そういうところで人間関係を作っていくのが入りやすいんじゃないかと思います」
「親の代が休業状態なので自分が実家に戻って蔵を再興したいという相談が若い人たちから結構あります。余程の覚悟がないと難しいですね。自分自身が地元にしっかりと根を張っていればいいですけれど、親がもういなくて、ただ空き工場があるだけのところに地元以外に住んでいた子どもがポッと帰ってきても、頑張りますだけでは難しいし、多分えらいことになると思うよとよく言います」
3.二人のインタビューから見えること
長浜でビジネスをするには何が必要か、地元で活動を続けて起業した江畑さんと佐藤さんの話から共通点を探ってみたいと思います。共通点は二つあります。
地域でのつながりを広げる
まず一つめは、自分からつながりを求めていくことの大切さです。佐藤さんは初めてその地域に来た人が人の輪に入っていくためには自分からつながりを求めていくのが望ましいと述べています。江畑さんは地域の人にとっても様々な組織に参加してつながりを広げ、異分野の人の話を聞くことが糧になるし勉強にもなると言います。
最初からビジネスのことを考えるのではなく、地域のまちづくりであったりボランティアであったり、地域活動のレベルでの集まりや組織に参加し、そこで体験を共有したり、意見を交換し合うことで地域の仲間として認識してもらう、あるいは仲間のつながりを増やしていく。
ここでうまく関係が作れれば、その結果としてビジネスにもいい影響がでるかもしれないということです。
信用できる人間と認めてもらう
二つめは、地方での起業が成功するかは、何をするかより以前に、まずは地域の人に信用できる人間として受け入れてもらえるかのほうが大きいということです。
江畑さんは、長浜には人を見て商売をしてくれるというのがあって、それゆえひしめく競合から抜け出そうとしたとき、クライアントが価格ではなく自分という人間を選んでくれたと述べています。佐藤さんは、自分が地元に根差した活動をしていたからこそ、苦境の時に地元の人が助けてくれたと言っています。
つながりに甘えてしまうと干されるという江畑さんの話を合わせて考えると、地元の人は事業に向き合う姿勢や実際の行動を見て、この人なら信用できると判断したのだと理解できます。
地域に関わる仕事をしようと思えば、まず地域の人から信用されること。これはどこでビジネスをしようと共通したことかもしれませんが、地方ではそれがより強く求められるということでしょう。
今回は以上です。次回は地元にUターンして起業した人たちのインタビューを振り返ってみます。Uターン組の人たちはどうやって地元でのビジネスの足掛かりを築いたのか、探っていきたいと思います。
(次回に続く)
(お詫び)前回、全4回でと書きましたが、4回では終わりそうにありません。おそらく6,7回かかりそうですので、よろしくお願いいたします。