食料問題を考える(2)日本人の食生活はどう変わってきたのか?(後編)

by 松島三兒

今回は前回に引き続き、戦後の食生活の変化を見ていきます。

(今回の内容)
2.戦後の食生活と食料消費構造の変化
 2-2.高度経済成長期
 2-3.安定成長期からバブル期
 2-4.バブル崩壊後

2-2.高度経済成長期
    ~「食の洋風化」の進展~

日本は戦後の復興期を乗り越えた1955年から次節で説明する第1次オイルショックが起きる1973年までの間、いわゆる高度経済成長を経験します。この時代の日本企業の多くは外国企業との提携あるいは技術導入により生産技術の向上をはかり、製造業を中心とした高度成長を実現していきました。また、1964年には日本で東京オリンピックが開催されることとなり、それを契機として首都高速道路や新幹線の建設などインフラの整備が進んだことも飛躍的な経済成長につながりました。

都市部では工場や商店への人材供給がおいつかないため、農村地帯から中学を卒業した農家の子女を大量に採用しました。いわゆる「集団就職」(1)です。その結果、1955年から1970年にかけて、第1次産業では就業者数が6割以下(1,536万人から886万人)に減少する一方で、第2次産業では1.8倍(997万人から1,791万人)、第3次産業では1.6倍(1,426万人から2,247万人)とそれぞれ大きく増加しました(図1)。

図1 産業別の就業者数の推移

こうして日本人の一人当たり国民所得は先進国に肩を並べる水準に達し、人びとは物質的な充足を得ることで豊かさを実感していきました。第1次産業から第2次および第3次産業へ労働力が移動したことも国民所得の上昇に寄与しました。

1955年から1970年までの消費支出の変化をみると、2人以上の世帯において月々に支払う消費支出額は約3.5倍(23千円から79千円)に増えた一方、食料費の伸びは約2.5倍(11千円から27千円)でした。その結果、消費支出の半分近くを占めた食料費の割合は約3分の1にまで下がり、生活水準は向上しました(図2)。家計の消費支出に占める食料費の割合を表したものはエンゲル係数と呼ばれ、一般にエンゲル係数が低いほど生活水準が高いとされます。

図2 1世帯当たり年平均1か月間の消費支出及び食料費の推移

この間、家庭電気製品や自動車などの耐久消費財の普及がめざましく、とくに高度経済成長期の初期には「三種の神器」とよばれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が、また後期には「3C」とよばれた自動車(カー)、クーラー、カラーテレビが急速に普及していきました。当時の人びとは隣の家がカラーテレビを買えば自分の家でも買うというように横並び意識が強く、物質的な充足の結果、1970年には自分を「中流」(2)と感じる人が89.5%に達しました。

1955年から1970年までの間に食料消費支出は約2.5倍に伸びましたが、内容的にはどのような変化があったのでしょうか。それを示したのが表1です。「純食料」とは、人間の消費に直接利用可能な食料の形態、すなわち可食部分の数量を表します。

表1 1人1年当たりの供給純食料の推移

1955年から1970年の間に、主食の米及びいも類の供給量がそれぞれ86%(110.7kgから95.1kg)および37%(43.6kgから16.1kg)に減少する一方で、日本人がそれまであまり摂取してこなかった肉類、鶏卵、牛乳・乳製品、および油脂類がそれぞれ3.8倍(3.2kgから13.4kg)、3.9倍(3.7kgから14.5kg)、4.1倍(12.1kgから50.1kg)、および3.3倍(2.7kgから9.0kg)と急速に増加しました。「食の洋風化」が急激に進んだのです。

所得の増加だけでなく、前回述べたように、子どもたちがパン食を基本とする学校給食に慣れ親しんだことも「食の洋風化」が進んだ大きな要因といえます。食物史学者の大塚滋は次のように述べています。「だんだんものが豊かになってきて、当初の目的が薄れてきても、学校給食は続き、その姿を大きくは変えなかった。パンを主食とし、それに付随して洋風の料理が幅をきかせてきたといえる」(3)。

2-3.安定成長期からバブル期
    ~「食の外部化」の進展~

1973年に入ると第1次オイルショック(4)が起き、日本の経済成長にブレーキがかかります。異常なインフレーションによる個人消費の落ち込みや国際収支の悪化等により、1974年の実質経済成長率は戦後初のマイナスとなりました。しかし、その後の企業による省エネルギーの推進や減量経営努力が実を結び、1975年前半には景気が底を打ちます。その後先進国の経費回復が先行したことで、国際収支も黒字基調となり経済はゆっくりと回復に向かい、安定成長に入っていきます。

1975年から1990年にかけての1人1年当たりの供給純食料の推移(表1)をみると、米が引き続き減少(88.0kgから70.0kg)する一方で、肉類、牛乳・乳製品、および油脂類は高度経済成長期ほどではないにしろ、それぞれ、1.5倍(17.9kgから26.0kg)、1.6倍(53.6kgから83.2kg)、および1.3倍(10.9kg~14.2kg)と増加しており、引き続き「食の洋風化」が進行していることがわかります。また、高度経済成長期に供給量が2倍以上に伸びた砂糖類は、安定成長期に入り供給量が減少に転じます。これは1970年代に砂糖の代替としてでんぷん由来の異性化糖が出回るようになったことによります(5)。これを裏付けるようにでんぷんの供給量は増えています(6)。

安定成長期に私たちが経験した、食を取り巻くもうひとつの大きな変化は「食の外部化」です。高度経済成長期には企業に雇用される男性が増え、それにともない家事・育児に専念する専業主婦が増加しました。しかし、1980年代に入って週休2日制が浸透し週末のレジャーを家族で楽しむようになる一方で、子どもの教育費や住宅ローンの返済等が家計を圧迫するようになっていきました。こうした状況が主婦の就労を後押しし、女性雇用者の割合の増加(図3)につながるとともに、共働きを一般化していきました(図4)。

図3 女性雇用者数および女性が雇用者に占める割合の推移
図4 共働き世帯数の年次推移

共働き世帯の増加は「食の外部化」を推し進めました。図5に示すように、1975年から1990年までの間に2人以上の世帯の食料支出額に占める「外食」の割合は10.2%から15.6%へと5ポイントも増加しました。また、弁当・惣菜・冷凍調理食品等の「調理食品」割合、いわゆる中食需要も4.4%から8.1%と3ポイント以上増加しています。その一方で、「生鮮食品」の割合は44.1%から36.7%へと大きく減少しており、「食の外部化」が急速に進んだことを示しています。

図5 食料支出額に占める生鮮食品、調理食品及び外食の割合の推移

当時の社会環境も「食の外部化」を後押しする大きな要因となりました。1967年の資本自由化措置以降、ファストフード店やファミリーレストランなどを経営する外資系チェーンやそれに刺激を受けた国内資本の外食チェーンが次々とオープンしていったことが「外食」需要を喚起しました(表2)(7)。また、1970年代半ばにはコンビニエンスストアがオープンし、同時期に冷凍冷蔵庫や電子レンジが普及したことは中食需要を押し上げる要因となりました。こうした社会環境の変化が、共働き世帯の増加と相まって「食の外部化」を推し進めました。

表2 1970年代に集中した外食チェーンおよびコンビニエンスストアの開店

2-4.バブル崩壊後
    ~単独世帯の増加でさらに進む「食の外部化」~

1990年代初頭のバブル経済の崩壊は、消費者の生活にさまざまな面で影響を及ぼしました。株や不動産などの資産価値が大幅に下落し、住宅ローンの残高が資産価値を上回るといった事態も発生しました。また中小企業を中心に資金調達が困難となるなど企業の経営を圧迫する状況が続いてリストラが相次いだほか、1990年代後半には廃業する企業の数が開業する企業の数を上回るようになりました。その結果、バブル崩壊前には2%台であった完全失業率は、わずか10年で5%台まで上昇したのです。

2002年以降完全失業率は減少に転じるものの、正規雇用は減少し、派遣社員や「フリーター」とよばれる若者が増えていきました。全体として消費は抑制に向かい、日本は長期の不況に突入していきます。

1995年以降の1人1年当たりの供給純食料の推移(表1)をみると、依然米の供給量は減少と続けているものの、洋風食はすでに定着してためか、特に「食の洋風化」を示すような供給量の変化はみられません。一方、特徴的なのは魚介類の減少ですが、これには魚を調理することへの抵抗感や、日本の経済競争力低下による「買い負け」などさまざまな要因が指摘されています(8)。

バブル崩壊後も「食の外部化」は進んでいますが、外食需要は停滞し、調理食品への依存が相対的に高まっています。図5から2人以上の世帯の食料消費支出の内訳をみると、外食は16%台で横ばいであるのに対し、調理食品の割合(中食需要)は1990年の8.1%から2005年には11.8%へと伸びています。

バブル崩壊後の顕著な変化のひとつに単独世帯の増加があります。単独世帯とは、世帯人員が一人の世帯である。未婚や離婚・死別・子の独立などにより単身で暮らす人を指します。単独世帯は、1990年以降2020年までの30年間で約2.3倍(939万世帯から2,115万世帯)に増加しています(図6)。単独世帯増加の主たる原因の一つは高齢者の単独世帯の増加です。65歳以上の高齢者人口に占める単独世帯の割合は、1990年には男性5.2%、女性14.7%でしたが、2015年には男性13.3%、女性21.1%と大きく上昇しました(9)。もうひとつの原因は各年代での未婚率の増加です。50歳時の未婚率(45~49歳と50~54歳未婚率の平均値)である生涯未婚率の推移をみると、1990年には男性5.6%、女性4.3%でしたが、2015年には男性23.4%、女性14.1%となりました(10)。

図6 世帯の家族類型別一般世帯数の推移

単独世帯の増加が食生活の変化にどのような影響を与えているかを見てみましょう。性別、年齢階層別に「食の外部化」の観点から調べてみました(図7)。60歳以上の女性の消費動向は、2人以上の世帯の場合(図5)とほぼ同様でした。しかし、男性と59歳までの女性では、コロナの影響をもろに受けた2020年は別として、食料支出に占める「外食」の割合が相対的に高い傾向がみられました。その傾向は特に勤労者の多い59歳以下の男性と34歳以下の女性で強く、食料支出額のほぼ半分を外食が占める状況となっています。これらの層では「生鮮食品」の購入比率は低く、2020年を除き、一桁の比率にとどまっています。また、すべての階層で「調理食品」の比率は増加傾向にあり、単独世帯での「食の外部化」の進展は、2人以上の世帯を大きく上回る状況にあることがわかります。

図7 単独世帯の食料支出額に占める生鮮食品、調理食品及び外食の割合

以上、戦後の食生活の変化を見てきました。次回は、こうした食生活の変化が、食を取り巻く環境にどのような変化をもたらしたかを見ていきましょう。

(次回に続く)

参考文献・注記

(1)高度経済成長期には大都市の労働力不足が深刻となり、中学を卒業した農家の子女が労働力として注目されます。中学卒業者たち­は「金の卵」と呼ばれ、「集団就職列車」等で大量に都市部に送り込まれました。青森発上野行きの集団就職列車は、1975年まで21年間にわたって運行されました。

(2)内閣府「国民生活に関する世論調査」の生活程度に関する質問で「中」と答えた人は、1970年に初めて89%を超え、1973年には90%を上回りました。1970年には国民の中に中流意識が定着し、「一億総中流」が日本社会を象徴する言葉として使われるようになりました。

(3)大塚滋『パンと麺と日本人』集英社, 1997. p.132.

(4)1973年にイスラエルと中東アラブ諸国との間で第4次中東戦争が起きると、石油輸出国機構(OPEC)に属するペルシャ湾岸諸国は原油公示価格を数か月間で約4倍に引き上げました。さらにアラブ石油輸出国機構(OAPEC)はイスラエル支持国への石油禁輸を決定し、世界経済を混乱に陥れました。

(5)齋藤祥治「砂糖 製法と用途、そして歴史」『応用糖質科学』5(4): 208-215, 2015.  https://www.jstage.jst.go.jp/article/bag/5/4/5_KJ00010156118/_pdf/-char/ja

(6)小巻利章「総説 澱粉起源の甘味料——異性化糖について」『調理科学』10(4): 211-220, 1977.  https://www.jstage.jst.go.jp/article/cookeryscience1968/10/4/10_211/_pdf

(7)日本マクドナルド1号店オープンのニュース映像があったので、URLを貼り付けておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=45gC2a3G-5Y

(8)山下東子「危機に立つ日本の魚食」『経済研究』31: 31-40, 2018.  https://www.daito.ac.jp/att/27449_251627_010.pdf

(9)内閣府「令和3年版 高齢社会白書」p.10.  https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2021/zenbun/pdf/1s1s_03.pdf

(10)内閣府「令和3年版 少子化社会対策白書」p.11.  https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03pdfhonpen/pdf/s1-3.pdf

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