地方への移住・地方での起業を成功に導くためのヒント~滋賀県長浜市を例に~(第4回)Ⅱ.地元にUターンして起業したケース②村上デザイン事務所 村上裕一さん
by 松島三兒
今回は、地元にUターンし、デザイン系の仕事で起業した人たちへのインタビューの後編です。前回のインタビューと合わせて成功に近づくヒントを探っていきます。
前回と今回の2回にわたり、長浜からいったん都会に出て勤務した後、Uターンして起業した2名の方の話を紹介しています。前回の立澤竜也さんに続き、今回は村上デザイン事務所代表の村上裕一さんのインタビューを見ていきます。ふたりの共通点はデザイン系の仕事で起業したこと。ただ、起業のプロセスにはかなりの違いがあります。
2.村上デザイン事務所代表 村上裕一さん ~仲間との出会いが未来の可能性を信じるきっかけに
二人目は長浜を拠点にWebデザインの制作・企画の仕事をされている村上裕一さん(40)です。
小さい時から絵やイラストを描くのが好きだったという村上さんは、地元米原市の高校を卒業後、京都造形芸術大学に合格します。いつかはグラフィックデザイナーになりたいという夢を持って入学しますが、卒業制作の段階で燃え尽きてしまい、卒業後はいったん米原に帰ります。
しかし帰ってきても就職はなかなか決まりません。そこで100万円を貯めて東京に行こうと目標を立て、複数のアルバイトを掛け持ちして何とか100万円を貯めます。23歳のときです。
起業への挑戦の基礎を作った東京での10年間
いよいよ東京に行くのですが、仕事はまだ決まっていません。ハローワークに行きデザイン会社に何通も履歴書を送って、ようやく表参道にある小さな会社に就職が決まります。これでグラフィックデザインができると思って入社しますが、時はWebサイトの黎明期。上司からはWebの勉強をしてほしいと言われ、Webのプログラムなどを学びます。
社員4、5人の小さな会社だったので、お使いからデザイン、資料を集めることも含め何から何まで一番下の人間がやらなければならない状態が続きます。1年半ほど働きましたが、、同年代の社員もいなかったため、もっと大きな規模の会社に行きたいという欲が出てきます。
社員40名ほどのデザイン会社に転職した村上さんは、ここでWebデザイン専門のデザイナーとして25歳から33歳まで勤めます。このデザイン会社での最後の3年間は社員150名ほどの大きな広告代理店に出向し、Webデザインのディレクションという全体をまとめあげるような仕事を担当しました。
東京での10年間で、自分で何かしたいという欲が芽生えてきた村上さんは、ここで区切りをつけようと滋賀県に帰ります。33歳でした。しかし、帰る段階で何がしたいというのが見えていたわけではありません。まずはどこかで働こうと企業の面接を受け始めます。しかし、面接を受け続ける中で就職活動を続けることにだんだん疑問が湧いてきます。
「いままで東京で10年間やってきたことを何も活かせてないな、挑戦してないなと。これから先のことは当然見えないんですけど、やっぱり一度自分で挑戦するっていうのも大事かなと」
そう考えた村上さんは、採用の意思を示してくれた会社に断りを入れ、Webサイトの制作・企画の事業を自分で始めようと起業します。
新たな仲間との出会いが未来の可能性を信じるきっかけに
村上さんが事務所を構えたのは、地元の米原市でなく長浜市でした。これには理由があります。東京から帰ってすぐに、自分のルーツをたどろうと考えたことがあり、調べていくと、父母も祖父母も長浜出身でルーツが長浜にあることがわかりました。これがきっかけとなって、長浜を紹介するWebマガジン“ナガジン”を作ります。7年前のことになります。
ナガジンは仕事ではなく、あくまでも趣味の領域だったのですが、これを始めたことによっていろいろな人と出会うきっかけも生まれていきました。
「10年間いなかったので人脈のつながりもなくて、米原から長浜まで電車に乗って遊びに行ってたんですね、いろんなつながりを作ろうと思って。そのなかで出会った人たちは僕よりも先に個人で事業をされてる方が多かったんです。暮らしの道具の商いをされている宇留野元徳さん、農家の立見茂さん、会社員でまちづくり会社の竹村光雄さん、みんな同世代の人たちで10年前には全然知り合ってなかった人たちです。そういう人たちに仲間に入れてもらって、あ、僕もここで暮らしたいなという気持ちがどんどん高まっていきました。出会いが増えて集まりが増えると、なんか気づいたら東京にいた10年間よりも出会っている人の数が圧倒的にふくれあがってたんです。毎日がエキサイティングでした」
こうして仲間の近くで暮らしたいという気持ちが高まった村上さんは長浜に住むことを選択します。長浜に住んで4、5年。長浜にいることは心地いいと言います。
「東京から拠点をこっちに移すことによって、こういう出会いのための時間を作れる。心の余裕じゃないですけどそういった余裕が生まれるようになって、自分の将来に対して漠然としていた考えが未来の可能性を信じるように変わっていきました」
人のつながりが仕事を広げる
長浜で事業活動を始めた村上さんに最初に仕事を紹介してくれた人は、東京のデザイン会社時代の上司でした。今でも連絡を取り合うほどの仲の上司で、村上さんの仕事の癖を知り尽くしたうえで仕事を紹介してくれ、そのことが支えになったと言います。最初のころの仕事は圧倒的に県外からの依頼のものが多かったそうですが、村上さんから宣伝したわけではなく、人の紹介やナガジンを見ての問い合わせなど、すべてつながりで依頼されたものでした。
事業を始めて6年。長浜でも信頼が得られ、仕事がつながるようになります。ロゴデザインや空き家バンクのパンフレット等の仕事を気に入ってくれた依頼元の“いざない湖北定住センター”の担当者が、国友鉄砲ミュージアムに紹介してくれて同ミュージアムのホームページリニューアルの仕事の受注につながるなど、努力が実を結びつつあります。
「長浜でも最初はヨソモノですよ。でもヨソモノっていいなと思うんです。観光情報とかはなかに入っている人には書けない。そういうものはやっぱり外部の人間が書くことで、外部の人に伝わると思うんです。ヨソモノ目線っていうのはいまだに大事だなと思います」
村上さんは、自分の強みはデザインもプログラムもコーディングもできることだと言います。小さなデザイン会社だと一通り全部しないといけないので、その経験が強みになっているということです。だから、仕事はデザインだけもできるし、全部やってというのも引き受けることができる。あとはナガジンでの経験を通じてコンテンツそのものを作ることも視野に入れています。
ただ個人での仕事には会社員として受ける仕事とは異なる怖さがあると言います。
「東京では会社として営業が仕事を取ってきてくれるという立場だったんですけど、長浜では個人で仕事をさせてもらっているので、全部がダイレクトな関係になります。そうなると全然仕事への向き合い方が変わりますね。思いの持ち方は、会社員の頃も全力でやってましたけど、個人だともう全部責任を背負っているという意識はありますね。だから、どれだけ仕事をしても怖いです、いまだに。ドキドキしながらやることが多いですね」
長浜のビジネス環境の利点を活かしじっくり顧客との関係を築く
村上さんの経験からビジネス拠点としての長浜の現状と課題をどう考えるか聞いてみました。村上さんが認識する現状での強みと弱みは以下のとおりです。
長浜の強みは3つ。
1)都会と比べ人件費や家賃、光熱費などのコストが抑えられる。
2)競合が少ない。自分と同じような職種の人が都会に比べ圧倒的に少ないので、共存できるというのが強み。不足しているスキルを補い合うこともできる。
3)特に長浜の場合、他人との距離感が近いので、△△と言えば〇〇さんという図式ができやすい。たとえば村上さんであれば、Webの仕事だったら村上さんのような形で覚えてもらいやすい。
一方、長浜の弱みは、インターネットを使ったビジネス展開をしている人が圧倒的に少ないこと。お店を始めたのはいいけれどSNSもWebサイトもない、あるいはあっても作った当時のまま放置してあると言った状況が多く、情報発信の部分が弱いと感じると村上さんは言います。顧客の経験値が少ないため、Webについてコンテンツ管理も含めて理解してもらうのに時間はかかってしまいますが、自分自身を知ってもらう機会にもなるため、しっかり対応しているということです。
長浜に求められる、出て行った人が安心して帰れる仕組みづくり
長浜の課題は、外へ出ていった人が安心して帰ってこられる仕組みがないことだと村上さんは言います。
「若者が外に出て行くのは、ここに学べる場所はないとか、やりたい仕事がないとか、もっと単純に言うと面白くないとか、そんな理由です。これでは僕が出て行った15年くらい前となんにも変わってないんですよ。やっぱりそこを変えていかなきゃいけない」
そのためには、この町で暮らしたくなる理由を実現する仕組みづくりが重要になりますが、一方でそんなに悠長に構えているわけにもいかないとも言います。
「少子高齢化というのが目の前に見えているので、日本全国の自治体による優秀な人材の取り合いはもう始まっています。まったくゆかりのない人に来てもらうのはハードルが高い。県外に出ている湖北出身の人とか、県外から学業や仕事で湖北に訪れた人、こういう湖北にゆかりのある人との関わりを早急に構築していくのが最重要な課題です」
3.二人のインタビューから見えること
長浜でビジネスをするには何が必要か、Uターンして、ともにデザイン系の事業を立ち上げた立澤竜也さん(前回掲載)と村上裕一さんの話から共通点を探ってみたいと思います。
顧客の要望に臨機応変に対応できるスキルを身につける
ひとつ目の共通点は、仕事の経験のなかで多様なスキルを身につけたことが、地方でビジネスをするうえでの強みとなっているということです。
立澤さんはデザインを軸とするさまざまな事業を経験するなかで多様なスキルを身につけてきました。一方、村上さんは小さなデザイン会社でWebサイト構築に関わる一連の仕事を経験するなかで広範なスキルを身につけてきました。
このように多様なスキルを身につけたことが顧客の要求に臨機応変に対応できることにつながっています。デザインだけの仕事にも対応できるし、全部やってくれという要望も引き受けることができるのが強みだと村上さんは話しています。
専門性の高いスキル1本で勝負しようと考えている人もいるかもしれません。しかし立澤さんは、高額な仕事が多い都市部とは違い、個人または少人数で対応する規模の仕事が多い地方では、徹底的に極めたひとつのスキルより、多様なスキルを身につけているほうが望ましいと述べています。
信頼感、安心感につながる関係性をつくる
ふたつ目の共通点は、二人とも自分の仕事の宣伝をしたことがなく、紹介等により仕事がつながっていることです。
もう少し具体的に言えば、依頼された仕事の仕上がりを見て依頼主が他の顧客を紹介してくれる、あるいは仕上がりを見た人が仕事を依頼してくれるという連鎖が生じている等いことです。立澤さんは、順番にバトンがつながるように今日まで来たと表現していました。
こうした連鎖が起きる一番の理由は、顧客の要望に応えかつ質の高い仕事をして信頼を獲得しているということでしょう。村上さんは、個人で仕事を受けると会社員時代とは仕事への向き合い方が変わると言います。個人で全責任を負うのでどれだけ仕事をしても怖いということですが、その真剣さが顧客からの信頼につながっているように感じます。
そこに、知っている人から紹介してもらう安心感が加わって、仕事がつながっていきます。立澤さんによると、安心感という点ではSNSを通じたゆるいつながりも大事だと言います。Facebookのような実名で登録するSNSであれば、会っていなくても存在を近くに感じることができ、誰に頼もうかというときにリストに上がりやすいということです。村上さんのブログ“ナガジン”も、信頼感や安心感の醸成につながっていると思われます。
さて、次回からは地域おこし協力隊の制度を利用し、県外から長浜市に移住して起業した人からみた地方への移住、地方での起業に焦点を当てます。関わった地域の人の声も交えてお伝えする予定です。
(次回に続く)