地方への移住・地方での起業を成功に導くためのヒント~滋賀県長浜市を例に~(第6回)Ⅲ.地域おこし協力隊として移住し起業したケース②合同会社MediArt 植田淳平さん
by 松島三兒
今回は、地域おこし協力隊の制度を利用して長浜市に移住し、起業した人へのインタビューの前編です。受け入れ地域の人々の声も併せてお届けします。
今回と次回の2回にわたり、長浜市地域おこし協力隊の隊員として移住し、任期終了後に起業した2名の方のお話を紹介します。第1期と第2期の違いも感じていただけると思います。
2.合同会社MediArt代表社員 植田淳平さん
まず一人目は、合同会社MediArt代表社員植田淳平さん(41)です。植田さんは岡山県出身。人材派遣会社勤務を経て、2007年に東京のIT系企業に転職します。その後、上司が起業したベンチャー企業に転職し、海外子会社の設立準備・事業立ち上げも経験します。そうした経験を積むなかで、昔から好きだったアートの分野で事業がしたいと考えるようになります。
2013年に海外勤務から帰国した植田さんは、会社員として働きながら、個人の活動としてアート関連のイベントの企画やアーティストの取材を行い、2014年にはアート関連のWebメディアの立上げ・運営へと活動の幅を広げていきます。
(移住前の植田さんについて詳しく知りたい人は、another lifeのインタビュー記事を見てください。)
海外勤務から帰国したとき、植田さんにはひとつの出会いがありました。帰国後植田さんが住んだのは、180人ぐらいが暮らすソーシャルアパートメント。そこで長浜出身の人と知り合います。
地域おこし協力隊員としての移住
2015年6月ころ、アパートで知り合った長浜の人から長浜市が地域おこし協力隊員を募集しているという情報が寄せられます。しかも、募集対象の活動分野のひとつが「芸術による地域おこし」。特に転職しようと思っていたわけではありませんが、アートに価値をつけていく仕事やアーティストの活動を支援する仕事を本業としてやりたかった植田さんにとってはまたとない話でした。
知人から情報をもらった段階では応募書類の提出期限まで残り1週間。さっそく担当部署の長浜市北部振興局に連絡して説明を聞き、協力隊の制度等も調査したうえで、応募。翌7月には長浜まで面接に行きます。めでたく採用されますが、まだ会社員だった植田さんが会社での引き継ぎ等を終えて長浜に移住できたのは12月のことでした。
植田さんは東京に住んでいたといっても、元々は岡山県真庭市の出身。地方としての環境は長浜とそんなに変わらないうえ、転居も頻繁に経験し独身でもあったので、長浜に移住することに対して基本的に葛藤はありませんでした。また、市役所のサポートも移住を後押ししてくれました。
「市には協力隊をサポートしてくれる担当の方がいて、せっかく来てくれるんだから住んでもらいたいということで、事前準備をしっかりされてました。要は、こういう方が来ますよとか、こういう方がここに住みますよとか、あとは家の手配もなんですけど、そういうサポートがあったので僕たちは入りやすかったですね」
原点となったブックカフェのクラウドファンディング支援
長浜市木之本に移住して、一番初めに手がけたのは、ブックカフェ開設のための資金集めを支援することでした。移住して1ヵ月後の2016年1月に、“book cafe すくらむ”を立ち上げるための資金集めに取り組もうと考えていた木之本の主婦たちから相談を受けます。
相談した主婦たちの中心人物のひとり藤谷法子さんは、植田さんに相談することになった経緯について次のように話してくれました。藤谷さんは、その創建が鎌倉時代に遡る浄土真宗大谷派の寺院・明楽寺のご住職の奥様でもあります。
「木之本のまちづくりの委員として主婦の手づくり市“きのもとぐるぽ市”を立ち上げるためのミーティングをしたときに、ほかの主婦の人から、地域おこし協力隊だっていう人が手伝いますって言うてくださってるんやけどという話があって、それでじゃあ会おうかとなって、それが淳平君だったんです。ぐるぽ市と同じくらいの時期に主婦の団体でブックカフェを作りたいということになり、資金集めもしないとあかんということで淳平君に相談し、関わっていただくようになりました。『資金集めだとクラウドファンディング(以下CF)っていうのがあるんです』ということで、じゃあ教えてと」
植田さんは相談を受けてから3ヵ月くらいをかけてCFの企画を練り上げました。ただ、CFのプロジェクトの主体は藤谷さんたちです。植田さんは支援に徹するため、細かくやりとりしながら進めていきました。当初30万円の目標で始めましたが、最終的に90万円を集め、大成功をおさめます。植田さんがいなかったら普通にチラシをまいて寄付を集めていただけだろうと、藤谷さんは感謝します。
植田さんは地域おこし協力隊卒業後の2018年12月に法人を設立し、事業としてCF支援に取り組んでいくことになりますが、この成功体験がその後の事業立ち上げの原点になります。
「長浜でそれまでCFをやられた方がいなかったんですが、熱意ある主婦の方たちが積極的にやりたいと言っているのでうまく行くだろうと思ってやったら、やっぱりすごく広がりが出たんですよ。それで何が変わったかというと空気感が変わったんです、木之本の。何か新しいことやってもできる、みたいに。最初のひとりになるのは難しくても、〇〇さんがやったというような話が出て行くと、私もやってみようという人が出てきて、今ではできないことないんじゃないくらいな感じに広がってきてると思います。だからめちゃめちゃ面白いですね」
当たり前のことを当たり前に
藤谷さんたちにとって植田さんとの共同作業は初めてでしたが、長浜市がバックアップする地域おこし協力隊員であることがやはり安心感につながりました。植田さんも、地域おこし協力隊員であることが主婦の人たちが口コミで宣伝してくれることにつながり、自分たちとしても活動しやすくなったと言っています。
だからといって地域おこし協力隊員であることに頼りすぎてはいけないと植田さんは言います。
「地域で集まる機会があれば、そこに参加するというのは当然やりました。地域だと当たり前ですよね。当たり前のことを当たり前にやる。協力隊員だからというよりは町の一住民として地域に入るというところは、多分ズレではダメなところだと思うんですよ」
植田さんは、自治会や商工会や婦人会などいろいろなところの代表が集まって組織する、きのもと宿まつり実行委員会の委員になるなど、地域の活動に積極的に参加しています。藤谷さんの“淳平君”という呼び方に、今ではすっかり地域の一員として受け入れている様子がうかがえます。
本を通じた木之本のまちづくり
2017年6月には、木之本で本にちなんだイベントが開催されました。なぜ木之本なのか。木之本には滋賀県で一番古い私立図書館があり、本にゆかりのある活動をしている人も多くいることから、本を中心にしたまちづくりをしたいと植田さんは考えたのです。イベントの中心は、植田さんが企画したキングコング西野亮廣さんの『えんとつ町のプペル展』。それに合わせて、本の読み聞かせや古本市などのイベントも開催しました。
(イベントの概要について知りたい人は、植田さんのWebメディア“MediArt”の記事を見てください。)
また植田さんは、今までと違うイベントにして木之本に来たことがない人たち、たとえば子どもとか若い女性とかを呼び込みたいと考えていました。西野亮廣さんの絵本展と重なっているので、大勢の人がくることが予想されました。そこで本を通じて木之本を知ってもらおうと、知ってもらいたい場所や人を紹介した有料の『きのもと文庫』を出版します。この本の製作にもCFが活用されています。
普通こうした新しい企画を行うときは実行委員会を作ることが多いのですが、植田さんは実行委員会方式は採りませんでした。
「基本的には町の人、行政の人、私の3名くらいで意思決定します。西野さんの絵本展の時もそうでした。僕が意識してやったのはお金を用意することと、決断の責任を取ること。スピードとお金はすごく大事です。西野さんの絵本展では、協力隊の運営経費を一部使った以外は、CFと協賛金ですね。行政のお金ばかりに頼ってしまうと、かなり公共性を保たないといけないとか、色々なところにお願いにいかないといけないとかで、たぶん実現できていなかったと思います」
スピードとお金以外に、植田さんが留意したのは活動と広報をセットで行うことでした。お金をかけずに多くの人に知ってもらう手段はやはり新聞への掲載。自分の活動に対してすべてプレスリリースを出して、新聞記者と懇意になり、できるだけ記事にしてもらいやすいような情報の提供の仕方を心掛けました。
古本市を植田さんと一緒に企画した、あいたくて書房店主の久保寺容子さんは次のようにふりかえります。
「西野さんの絵本展をするなら古本市もやりたいと言ったら、植田さんが、そのほうが本つながりで人もいっぱい来るし、おもしろいだろうと言ってくれたので、絵本展のフィナーレイベントとして古本市をすることになりました。せっかくやるんだから町の人にも一緒に入って協力していただこうということになって、結果としては、すごく面白かったですし、やっていても楽しかったです。町の人もすごく楽しんでくれましたし。」
出店者もお客さんも県外の人で、かつ若い人が多かったのを見て、町の人からすごいな、面白いなという感想が寄せられたのがすごく嬉しかったと久保寺さんは言います。また、各地で古本市を経験している出店者からは、交通整理や荷物の運搬などにも町の人がたくさん協力していたことに驚きの声があがったということで、そういうところがちゃんとわかってもらえてよかったと話してくれました。
植田さんには一緒に仕事するとおもしろいことがやれるかもと感じさせてくれる魅力があると、久保寺さんは言います。アイデアを持っているけれどやり方が分からない人がいると、植田さんは、意見を聞きながら、こういう先生呼んできて、こう発信して、こう人を集めたらいいというふうに段取りを作って形にするところまで持っていってくれるということです。
久保寺さんによると、万能に見える植田さんにももちろん不得意な部分はあって、そういう部分については素直にわからないですと人に頼るそうです。すると、新たなコミュニケーションが生まれ、最初は植田さんの行動に関心を持っていなかった人たちもだんだん協力するようになり、一方通行がなくなっていったと言います。
外から来た人が地域の力に
植田さん始め地域おこし協力隊の人たちが移住してきたことは、地域にいい影響を及ぼしているのでしょうか。ご自身も町外から来て“あいたくて書房”を開いた久保寺さんは、それはすごくあると言います。若い人が来ることで空き家に入る人が増えたり、町のことを見直そうという会が生まれたり、いろいろやっていこうとう年代がちょっと若くなったりしているということです。
「協力隊もそうですし、わたしもそうですが、他所からやってきたもののほうがやれるんですよ。自分の住んでる集落ではやれないです。やりにくいです。だから、協力隊の良さはそこにもあるんだと思いますね。そういう意味ではいい制度だと思いますよ。よそ者がやってくるっていうのはその町の刺激にもなるし、なんか面白い化学反応起こすんじゃないかなと思う」
いよいよ起業へ
2018年の協力隊卒業と同時に、植田さんは合同会社MediArtを設立します。
「会社の方向性は二つありまして、ひとつが地域にお金を循環させること、もうひとつが熱意のある人をサポートすること。これは一番最初の“ブックカフェすくらむ”の時もそうなんですけど、地域で何かやりたい、頑張っていきたいみたいな人と、一緒に何かするっていうのは非常に気持ちがいいし、それが仕事になるんであれば、もっとなおさらやりがいがあるということです」
何かやりたいことがあっても、まず引っかかるのはお金の問題。そこで会社の目標としてCFの活用を滋賀県で当たり前にすること、滋賀県内でCFに挑戦する人を増やすことを掲げ、CFを事業の柱に据えます。
2018年と2019年の2年間で、プロジェクト実施件数においても金額においても県内企業で1番の実績を納めます。2020年はコロナ禍でさらにCFに対する需要が高まり、中日新聞に取り上げられたことも奏功して、取材した6月9日時点では前年の3倍ほどの相談件数が寄せられている状況でした。
「CFをなぜひとつの事業に据えたかというと、ほかに同じようなことができる人がそんなにはいなかったとうことですね。だからこそ、滋賀県内で『CFといえば植田さん』というポジションを作っていくことが大事だし、今それができつつあるかなと思っています」。植田さんの会社は実績を評価され、現在は国内最大のCF運営会社CAMPFIREの戦略的パートナーとしてさらなる飛躍を目指しています。
植田さんは、CF以外にも地域性のある、地域で頑張っている人を応援できるような仕組みを作って事業を大きくし、そこで得た利益を地域に再投資していきたいと考えています。今年3月には、Webニュースサイト“長浜経済新聞”を立ち上げ、地域の明るいニュースを提供することで地域経済を回す後押しをしていこうとしています。
相談が来る人になる
植田さんは地方で起業して良かった点として、同じことをできる人が少ないので自分がやりたいことができるという点をあげました。
「東京だと同じようなことができる人が多いので存在が目立たないんですよ。地方だと何か旗揚げするときに目立ちやすいし、情報の影響力が大きい。だから仕事になる確率って高いと思うんですよ」
ただ、人が欲しがるものには結構自分が知らないニーズがあったりするので、それを見つけることができれば生活できると植田さんは言います。そのためには相談が来る人になるべきだとアドバイスしてくれました。
「生きるためには相談が来る人になる。相談が来る人になれば、仕事になるんですよ。相談って仕事なんですよ。その状況を作るためには、△△であれば○○さんだねみたいな候補のひとつに入ることですよ。そうなると人の紹介がたぶん来やすいと思います、ほんとに。」
以上です。いかがでしたでしょうか。
次回は、第2期協力隊員で、現在合同会社nagori代表社員の對馬佳菜子さんのインタビューをお届けします。
(次回に続く)